「飛んでイスタンブール」の大ヒットで知られるシンガーソングライターの庄野真代さん。
テレビ番組などで久しぶりに彼女の姿を見て、現在の結婚生活や旦那さんがどんな人なのか気になっている方も多いのではないでしょうか。
結論から言うと、庄野真代さんは1977年に作曲家の小泉まさみさんと結婚しましたが、1988年に離婚しており現在は独身です。
この記事では、元旦那さんとの世界一周旅行という破天荒な結婚生活や、離婚の理由について詳しく解説します。
さらに、2人の娘さんたちの現在や、がん闘病を乗り越えて精力的に活動する現在の姿まで網羅しています。
最後までお読みいただければ、波乱万丈な人生を前向きに生きる庄野真代さんの魅力がさらに深く理解できるはずです。
庄野真代の元旦那は作曲家の小泉まさみ
庄野真代さんの元旦那は、作曲家や編曲家として活動する小泉まさみさんです。大ヒット曲「飛んでイスタンブール」が世に出る前年に結婚し、夫婦で世界一周旅行に出発するなど、非常にアクティブな結婚生活を送っていました。
ここでは、元旦那さんの経歴や、旅先での驚きの出産エピソードについて詳しく解説します。
1977年に結婚!元夫の職業や経歴
庄野真代さんが結婚した元旦那は、作曲家および編曲家として活動する小泉まさみさんです。2人は1977年に結婚しており、これは庄野さんが1976年にアルバム『あとりえ』でレコードデビューした翌年の出来事でした。
1978年の大ヒット曲「飛んでイスタンブール」で大ブレイクを果たす前から、小泉まさみさんは夫として彼女の活動を支えていたことになります。同じ音楽業界に身を置くクリエイター同士として、互いの才能に惹かれ合ったと考えられます。
小泉まさみさんの詳細な経歴について公式な発表は少ないものの、音楽ファンの間では著名なクリエイターたちと関わりがあったと言われています。一部では「筒美京平さんなどの大物作曲家にお世話になっていた」との噂もあります。
表舞台に立つ歌手の妻と、裏方として音楽を創り上げる夫という関係性で、2人は夫婦としての歩みをスタートさせました。
夫婦で28カ国を巡る世界一周旅行へ
結婚後の1980年、庄野真代さんと元旦那の小泉まさみさんは、夫婦2人で世界一周旅行に出発しました。当時、庄野さんはNHK紅白歌合戦にも出場するなど歌手として絶頂期を迎えていましたが、突如として音楽活動の休業を宣言します。
人気絶頂のタイミングですべての仕事をストップし、夫とともに世界へ旅立つという大胆な決断は、当時の世間を大いに驚かせました。この壮大な旅では、なんと28カ国132都市を巡ったことが判明しています。
多忙を極める日本の芸能界から離れ、異国の地を夫婦で渡り歩くという経験は、2人の人生観や音楽観に多大な影響を与えたはずです。枠にとらわれない自由なライフスタイルは、まさに庄野真代さんらしいエピソードだと言えます。
旅の途中のロサンゼルスで長女を出産
この世界一周旅行の最大のハイライトは、旅の途中で庄野真代さんが第一子となる長女を出産したことです。長期間にわたる過酷な旅の最中に妊娠が発覚し、異国の地で出産を迎えるという非常にドラマチックな展開となりました。
具体的には、アメリカのロサンゼルスにある病院で長女を出産したことがわかっています。言葉や医療制度の違いがある海外での出産は、通常であれば大きな不安やリスクを伴うものです。
しかし、夫婦で支え合いながら無事に新しい命を誕生させたこの出来事からは、元旦那さんとの当時の強い絆と、2人の並外れた行動力がうかがえます。
なお、世界一周旅行を終えて帰国した後には、日本(東京)で次女も出産しています。結果として、庄野真代さんは元旦那の小泉まさみさんとの間に2人の娘をもうけました。
庄野真代と元旦那が離婚した理由は?
世界一周旅行や海外での出産など、周囲から見れば波乱万丈ながらも充実した結婚生活を送っていた庄野真代さんと小泉まさみさん。しかし、2人の結婚生活は永遠には続きませんでした。
ここでは、庄野真代さんが離婚を決断した時期や、現在も明確に語られていない離婚理由の真相について、世間の声も交えながら詳しく解説します。
1988年に33歳で離婚を決断
庄野真代さんと元旦那の小泉まさみさんは、1988年に離婚という決断を下しました。当時の庄野さんは33歳という若さでした。
1977年に結婚してから、約11年間の結婚生活にピリオドを打ったことになります。夫婦で28カ国を巡る壮大な世界一周旅行や、異国の地での長女出産、そして次女の誕生など、非常に濃密な時間を共有してきた2人でしたが、最終的には別々の道を歩むことを選択しました。
この離婚を機に、庄野真代さんはシングルマザーとして生きていくことになります。歌手としての仕事と、まだ幼い2人の娘の育児を両立させるという、新たな試練と向き合う日々がスタートしました。
離婚理由にまつわる噂と真相
結論から言うと、庄野真代さんと元旦那が離婚した明確な理由は、現在に至るまで公表されていません。決定的な不仲や大きなスキャンダルが報じられたわけではないため、その背景についてはさまざまな推測がなされています。
ファンの間や世間の噂では、お互いの人生観や経験の違い、子育てによる生活環境の変化が影響したのではないかと言われています。夫婦で世界中を旅するという非日常的で刺激的な日々から、日本での落ち着いた子育て生活へと移行する中で、少しずつ価値観のすれ違いが生じた可能性は十分に考えられます。
また、共に音楽業界で生きるクリエイター同士であったため、仕事に対するスタンスの変化もあったのかもしれません。
本当の離婚理由は2人にしか分かりませんが、ドロドロとしたトラブルではなく、互いのこれからの人生を尊重した結果の決断だったと推測されています。
庄野真代と元旦那の2人の娘の現在
庄野真代さんと元旦那の小泉まさみさんの間には、世界一周旅行中にロサンゼルスで誕生した長女と、帰国後に東京で誕生した次女の2人の娘がいます。
ここでは、歌手として活動する長女の現在や、次女の結婚、そして娘たちを思いやって決断した庄野真代さんの現在の暮らしぶりについて詳しく解説します。
長女は歌手のmomoko!ステージでの共演も
庄野真代さんと元旦那の間に生まれた長女は、現在「momoko」という芸名で歌手として活動しています。世界一周旅行中の異国の地で生まれた長女は、両親の音楽的才能をしっかりと受け継ぎ、同じ音楽の世界へと足を踏み入れました。
momokoさんは自身の音楽活動を行う傍ら、母親である庄野真代さんのステージで共演することもあります。母娘で同じステージに立ち、息の合ったパフォーマンスを披露する姿は、多くのファンを喜ばせています。
そんな長女のmomokoさんですが、私生活では2021年頃に離婚を経験しています。その後は、小学1年生になる娘(庄野真代さんにとっての初孫)を連れて実家に戻り、一時期は庄野真代さんと親子三世代で同居生活を送っていました。
次女の結婚と初孫の誕生
一方で、日本に帰国してから誕生した次女は、2021年前後に結婚して自身の家庭を築いています。次女については芸能活動を行っているという情報はなく、一般の方として生活していると見られます。
長女の離婚と実家への出戻り、そして次女の結婚と、2021年頃は庄野真代さんの家族にとって大きな変化が重なる時期となりました。
また、長女の連れ子であるお孫さんとの同居生活は、庄野真代さんにとって賑やかで楽しい反面、自身のこれからの生き方や家族のあり方を見つめ直す大きなきっかけになったと言われています。
娘たちへの思いと生前整理・一人暮らしの開始
庄野真代さんは現在、長年住んだ一軒家を娘に譲り、自身はマンションで一人暮らしをしています。この決断の背景には、過去に実母の遺品整理で大変な思いをした経験があり、「娘たちには同じ苦労をかけたくない」という強い思いがありました。
そのため、自身が元気なうちに「生前整理」を行うことを決意し、住み慣れた自宅を手放すという大きな決断を下したのです。
なお、一人暮らしを始めた時期については、メディアによって「50代半ばの頃に家を出た」という情報と、「66歳で生前整理を決意して家を出た」という情報の両方があり、正確な時期ははっきりしていません。いずれにしても、娘たちの将来を思いやり、自身は身軽になって新たなライフスタイルを歩み始めていることは間違いありません。
庄野真代の波乱万丈な現在
元旦那との離婚後、シングルマザーとして2人の娘を育て上げた庄野真代さんですが、その後の人生も決して平坦なものではありませんでした。
ここでは、40代での大学進学や大病の克服、そして現在精力的に取り組んでいる社会貢献活動など、彼女の波乱万丈でパワフルな現在の姿について詳しく解説します。
40代からの大学進学とイギリス留学
庄野真代さんは40代になってから大学へ進学し、イギリス留学も経験するなど、非常に向学心旺盛な生活を送っていました。歌手としてのキャリアを築き上げた後も、常に新しい学びを求めて行動を起こしています。
具体的には、2000年(45歳の時)に法政大学人間環境学部に入学しました。さらに在学中の2002年には、イギリスのウェストミンスター大学(University of Westminster)への留学も経験しています。
2004年に法政大学を卒業すると、同年9月には早稲田大学大学院アジア太平洋研究科に入学し、2006年に見事修了しました。これらの学びを活かし、2014年からは法政大学人間環境学部の兼任講師も務めています。
交通事故とステージ4の悪性リンパ腫を克服
庄野真代さんは過去に大事故や大病を経験していますが、それらを乗り越えて現在も前向きに活動を続けています。彼女の人生は、まさに不屈の精神の連続だと言えます。
40代(44歳時)には交通事故に遭い、顔面陥没骨折という歌手にとって致命的とも言える重傷を負いました。さらに、子宮筋腫の手術も経験するなど、身体的な試練が続きました。
そして2022年には、悪性リンパ腫(ステージ4)と診断されたことを公表し、多くのファンを驚かせました。しかし、約半年間にわたる抗がん剤治療に耐え抜き、見事に病気を克服して再びステージに立っています。
NPO法人や子ども食堂を通じた社会貢献活動
現在の庄野真代さんは、音楽活動だけでなく幅広い社会貢献活動に精力的に取り組んでいます。世界中を旅した経験や大学での学びが、現在の活動に大きく繋がっているようです。
2006年にはNPO法人「国境なき楽団」(現在は「国境なき楽団PLUS」)を設立し、フィリピン、マレーシア、トルコなどで音楽を通じた支援活動を行っています。さらに2018年からは、東京都世田谷区で「子ども食堂 しもきたキッチン」を主催し、地域の子どもたちを支援しています。
また、60代になってからシニアチア部に関わる(参加、あるいは自ら立ち上げたと言われています)など、とにかくエネルギッシュです。2010年には参議院議員通常選挙に立候補(結果は落選)した経験もあり、社会を良くしたいという強い思いを持ち続けています。
【デマ注意】亡くなったという噂は本当?
結論から言うと、インターネットやSNS上で「庄野真代が亡くなった」という噂が流れることがありますが、これは完全なデマです。庄野真代さんは2025年現在もご健在であり、精力的に活動を続けています。
このような心ない噂が流れた背景には、彼女がステージ4の悪性リンパ腫という大病を公表したことや、治療のために一時的にメディアへの露出が減った時期があったことが関係していると推測されます。
実際には、大病を克服した後に25年ぶりとなるミュージカル『プラハの橋』に出演するなど、現在も素晴らしい歌声と笑顔を世間に届けています。根拠のない死亡説には惑わされないよう注意が必要です。
庄野真代と元旦那の小泉まさみについてのまとめ
- 本名は庄野眞代で1954年生まれ、大阪府出身
- 1978年に「飛んでイスタンブール」が大ヒット
- 1977年に作曲家・編曲家の小泉まさみと結婚
- 1980年に休業し、夫婦で28カ国を巡る世界一周旅行へ
- 世界一周旅行中のロサンゼルスで長女を出産
- 帰国後に東京で次女を出産
- 1988年、庄野真代が33歳の時に小泉まさみと離婚
- 離婚の明確な理由は公表されていない
- 価値観の違いや生活環境の変化が離婚理由と噂されている
- 長女は「momoko」の芸名で歌手として活動中
- 次女は2021年前後に結婚して家庭を持っている
- 生前整理として一軒家を娘に譲り、現在は一人暮らし
- 45歳で法政大学に入学し、イギリス留学も経験
- 早稲田大学大学院を修了し、法政大学の兼任講師も務める
- 40代で交通事故による顔面陥没骨折や子宮筋腫を経験
- 2022年にステージ4の悪性リンパ腫を公表し、抗がん剤治療を受けた
- NPO法人設立や子ども食堂の主催など社会貢献活動に熱心
- 「亡くなった」というネット上の噂は完全なデマであり現在も健在
庄野真代さんの人生は、元旦那さんとの世界一周旅行から始まり、シングルマザーとしての子育て、大学進学、そして大病の克服と、驚くほどパワフルで魅力に溢れています。これからも彼女の素晴らしい歌声と前向きな生き方から目が離せませんね。